食で奏でる旅の記憶

 ~徒然なる食と旅の備忘録~

タグ:日本100名城

関ヶ原の戦いでの功績によって,徳川家から筑前 52 万石を与えられた福岡藩初代藩主・黒田長政は,慶長 6 年(1601年)から 7 年の歳月をかけて那珂郡警固村福崎の地に福岡城を築城しました。天守台を中心にして本丸,二の丸,東西の三の丸,南丸が配され,その周囲を堀で囲 ...

標高 329 m の金華山(旧名・稲葉山)の頂に構える岐阜城は,かつては稲葉山城と称し戦国時代には斉藤道三の居城でもありました。1567年に織田信長が美濃国を攻略した際に斉藤道三からこの城を奪取し,城の名を‟稲葉山城” から ‟岐阜城” に,地名をそれまでの “井ノ口” ...

・・・昨日の続き「大天守の鯱展示(明治時代)」「大天守の鯱展示(昭和時代)」「大天守の鯱展示(平成時代)」「西の丸南門跡」「武者溜り」「西の丸」「西の丸から天守閣を望む」「百間廊下」「百閒廊下からお堀を望む」「百間廊下から天守閣を望む」「百間廊下の石落し ...

・・・昨日の続き「天守閣の内部」「鬼瓦」「軸組構造模型」「イの渡櫓」「武具庫」「東大柱」「刑部神社」姫山の地主神で,近代になって天守内で祀られるようになりました。「武具掛け」天守は武器倉庫としても使われていました。 「筋交(すじかい)」「流し」「天守閣か ...

1346年(正平元年),赤松貞範によって築城された「姫路城」は国宝や重要文化財に指定され,日本100名城のひとつにも数えられる名城です。天を突くように堂々とそびえる白の大天守が白い鷺が舞い立つようにみえることから,‟白鷺城(しらさぎじょう)” の名でも親しまれて ...

・・・昨日の続き「大天守閣」天守は大天守と小天守が連結式に建てられ,さらに天守群と 2 棟の櫓群が渡櫓によって連ねられており,連立式天守閣と呼ばれます。「二の門櫓と二の門(楠門)」「二の門櫓」「二の門(楠門)」「和歌山城沿革」「二の門櫓」「多門櫓と乾櫓」「乾 ...

和歌山市の中心部にそびえ立つ「和歌山城」は,徳川御三家の一つ紀州藩紀州徳川家の居城で,日本100名城のひとつにも数えられる名城です。1585年,紀州を平定した豊臣秀吉が弟の秀長に命じて城を築かせたのが始まりで,まず秀長の城代として桑山重晴が入城し,1600年には関ヶ ...

川越城本丸御殿は,1848年(嘉永元年),時の藩主・松平斉典(なりつね)が造営した入母屋造りで,豪壮な大唐破風と霧除けのついた大玄関・車寄せを有します。当時は16 棟・1025 坪の規模を誇っていましたが,明治維新以降徐々に解体され,現存しているのは玄関・大広間部分 ...

天正11年(1583年),真田昌幸が築城した上田城は徳川軍の猛攻を二度にわたって撃退した(上田合戦)不落の名城として知られています。関ヶ原の戦いでの敗戦後に廃城となりましたが,後の上田藩主・仙石氏により一部復元・改修され,現在は上田城跡公園として整備されていま ...

しなの鉄道小諸駅から歩いて 3 分ほどのところにある小諸城大手門は,小諸城の表玄関(正門)にあたる二階門型の櫓門で,1612年(慶長17年),小諸藩初代藩主・仙石秀久が築いたとされています。当時としては珍しい瓦葺だったため瓦門とも呼ばれ,華美な装飾をはぶいた質実剛 ...

1589年(天正17年),毛利輝元によって築城された「広島城」は,鯉城(りじょう)の名でも親しまれ,日本100名城のひとつにも数えられる名城です。日清戦争当時は城内に大本営が置かれるという稀有な歴史を持ち,さらには太平洋戦争末期の広島への原子爆弾投下の際には破壊目 ...

名鉄犬山駅から歩いて15分ほどのところにある「国宝犬山城」は,木曽川のほとりの小高い丘の上に築かれた平山城で,現在は天守のみが現存しています。室町時代の天文 6 年(1537),織田信康(織田信長の叔父)により築城され,その天守は現存する日本最古の様式です。天守が ...

・・・昨日の続き「大天守閣」「金鯱」地下1階には実物大の金のシャチホコが鎮座しています。「黄金水井戸 木枠」大天守閣の東北角にあった井戸の模型です。底に純金が敷き詰められ,黄金水と呼ばれていたそうです。「御用部屋」「本丸御殿対面所」「祝膳復元」「女乗物」「 ...

関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康は,清州から新城下への町移転(清州越し)と名古屋城の築城を決定しました。1612年に完成した名古屋城には尾張初代藩主として家康の九男・義直が入城し,以降,徳川家の居城として利用されました。日本三名城のひとつにも数えられ,シンボル ...

上田城は天正11年(1583年)に真田昌幸が築城した平城で,徳川軍の猛攻を二度にわたって撃退した(上田合戦)不落の名城として知られています。関ヶ原の戦いでの敗戦後に廃城となりましたが,のちの上田藩主・仙石氏によって一部復元・改修され,現在は上田城の本丸、二の丸 ...

歴代加賀藩主前田家の居城であった金沢城は,金沢平野のほぼ中央を流れる犀川と浅野川に挟まれ,金沢平野を一望できる小立野台地(こだつのだいち)の先端に築かれた平山城です。1583年に前田利家が入城してから本格的な城づくりが始められましたが,1759年の宝暦の大火によ ...

1597年(慶長 2年),宇喜多秀家により築城された岡山城は,壁に黒い下見坂を配した姿から,別名「烏城(うじょう)」と呼ばれています。現在の天守閣は1966年(昭和41年)に再建されたもので,内部は展示室となっています。「岡山城」「天守閣入口」「天守閣のシャチホコ」 ...

仙台城は17世紀初頭に初代仙台藩主伊達政宗によって,仙台平野を見下ろす青葉山に築かれました。仙台城は通称・青葉城とも呼ばれ,標高は高いところで 131.4 m,東は広瀬川に落ちる 64 m の断崖絶壁,南は 80 m の深さの竜ノ口峡谷が固める天然の要害となっています。現在, ...

松江城は島根県松江市殿町にある平山城で,天守が現存し国の重要文化財に指定されています。黒塗りの重厚な外観は存在感たっぷりです。「堀川(内濠)」「北惣門橋」「太鼓櫓」「石垣刻印」分銅紋です。 「一ノ門」「松山城天守」望楼からは宍道湖まで見渡すことができます ...

丸亀城は丸亀市の南部に位置する亀山(標高66メートル)に築かれた平山城で,別名亀山城と呼ばれています。内濠から天守にかけて 4 重に巡らせた総高60メートルの石垣は日本一高く,「石の城」とも形容されている通りまさに石垣の名城です。「史跡 丸亀城跡」「内濠」「大手 ...

1583 年に豊臣秀吉が築城した大阪城は,大坂夏の陣での豊臣氏の滅亡とともに落城しました。その後天守閣は復興し,その雄姿は大阪のシンボルとなっています。周囲には大阪城公園が整備されています。また内部は歴史博物館となっており,貴重な資料のほかに企画展などもたびた ...

盛岡市内にある盛岡城は,北上川,雫石川,中津川を自然の壕に利用した城で,不来方城(こずかたじょう)とも呼ばれていたそうです。現在は石垣や池が残り,岩手公園として四季を通して市民に親しまれる公園となっています。園内には宮沢賢治の詩碑や,石川啄木の歌碑があり ...

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