食で奏でる旅の記憶

 ~徒然なる食と旅の備忘録~

カテゴリ:△歴史・文化 >  ▲歴史的建造物

ウィリアム・メレル・ヴォーリズ(William Merrell Vories)はアメリカ合衆国出身の建築家です。日本で数多くの西洋建築の設計を手掛けるとともに,ヴォーリズ合名会社(現・近江兄弟社)の創立者の一人でもあり,メンソレータム(現在はロート製薬の商標)を日本に広めた実 ...

JR 磐越西線猪苗代駅から車で 12 分ほどのところに,旧有栖川宮家・高松宮家翁島別邸「天鏡閣」があります。1908年(明治41年),有栖川宮威仁親王殿下によって竣工し,大正天皇によって命名された天鏡閣は,後に高松宮家の所有となりましたが,第二次世界大戦後の1952年(昭 ...

鶴岡市を中心とした庄内地域は国内最北限の絹生産地で,絹織物の一貫した生産工程が集約された国内唯一の地域として知られています。JR 羽越本線鶴岡駅から車で15分ほどのところにある「松ヶ岡開墾場」は,戊辰戦争降伏後の1872年に,養蚕によって日本の近代化を進めて庄内の ...

JR 羽越本線鶴岡駅から歩いて 20 分ほどの,「旧風間家住宅 丙申堂」より約50メートル北側に位置する「無量光苑 釈迦堂」は,1910年(明治43年)に丙申堂の別邸として建てられた建物で,主に来客の接待などに使われていた豪商のもてなしの館です。構造や意匠に優れ,良質の杉 ...

JR 羽越本線鶴岡駅から歩いて 20 分ほどのところにある「旧風間家住宅 丙申堂」は,1896年(明治29年)の丙申の年に,風間家7代当主・幸右衛門が住居と営業の拠点として建築したものです。風間家は鶴岡城下で庄内藩の御用商人として発展し,後に鶴岡一の豪商となり産業の振 ...

鶴岡公園の南東の鶴ヶ岡城の三の丸跡には庄内藩の藩校「旧致道館」が残っており,東北地方に唯一現存する藩校建造物として国の史跡に指定されています。致道館は,1805年に庄内藩第9代藩主・酒井忠徳が,退廃した土風を刷新して藩政の振興を図るために創設した学問所で,187 ...

JR 酒田駅から歩いて 20分ほどの森の高台に,ユニークな外観が印象的な「旧光丘文庫」があります。こちらの建物は,1925年(大正14年)に本間家の蔵書を中心に地方有志家による数万点の貴重な蔵書を集めて『光丘文庫』として建てられました。1958年(昭和33年)に建物と蔵書 ...

JR 酒田駅から歩いて15分ほどのところにある「本間家旧本邸」は,戦後の農地改革まで日本一の地主と称された豪商・本間家の旧本邸です。その圧倒的な財力を基礎に,『本間様には及びもせぬが,せめてなりたや殿様に』と謳われるほどの栄華を誇った本間家の旧本邸は,本間家三 ...

JR 酒田駅から車で 10 分ほどのところにある「山居倉庫」は,1893年(明治26年)に建てられた米保管倉庫で,米どころ庄内・酒田のシンボルとも言える建物です。白壁・土蔵づくりの 9 棟からなる倉庫の米の収容能力は10800トン(18万俵)で,夏の高温防止のために背後にケヤキ ...

・・・昨日の続き「金剛」「ローマ風浴室」「旧大浴場(染殿の湯)」「孔雀」「人力車」「庭園」「まめざくら」「土蔵」静岡県熱海市昭和町 4-2  ...

JR 熱海駅から徒歩 20分ほどのところに,『岩崎別荘』『住友別荘』とならぶ熱海三大別荘と賞賛される大正・昭和の浪漫あふれる名邸「起雲閣」があります。1919年に建てられたこちらの建物は,元は実業家・根津嘉一郎や内田信也の別邸でしたが,1947年に旅館として生まれ変わ ...

風情ある町並みが残る飫肥城下町には,1831年(天保2年)に藩主・伊東祐相(すけとも)が飫肥藩の藩校として設立し,小倉処平や小村寿太郎も学んだ「旧藩校振徳堂」があります。周囲は高さ 2 m 以上の高い石垣に囲まれており,広い敷地内には長屋門と主屋が保存されています ...

宮崎県の南部,日南市中央部にある飫肥(おび)は,飫肥城を中心とした飫肥藩 5万1000石の旧城下町です。豊臣秀吉によりこの地に封ぜられた伊東祐兵(すけたけ)が初代藩主を務め,以後廃藩置県まで一貫して 280年,14代にわたって伊東氏が飫肥藩主を務めました。1950年に合 ...

市内の中心部に威風堂々たる姿で建つゴシック様式の宮崎県庁本館は,1932年に完成した宮崎を代表する歴史的建築物です。現役の県庁・本庁舎としては九州で最も古く,全国でも大阪府庁舎,神奈川県庁舎,愛媛県庁舎に次いで 4番目に古い歴史を有しています。絶好の記念撮影の ...

山形市の中心部にある「山形県郷土館 文翔館」は,国の重要文化財である山形県旧県庁舎ならびに県会議事堂の建物を利用した多目的文化施設です。1975年(昭和50年)の県庁移転後,両棟は国の重要文化財として保存することとなり,1995年10月,県民の郷土への理解を深め,また ...

霞城公園の一角に建つユニークな外観が目を引く「山形市郷土館」は,国指定重要文化財の「旧済生館本館」を活用した施設です。旧済生館本館は明治11年に竣工した擬洋風建築の病院で,オーストリア人医師・ローレツが近代医学の教鞭をとったことで知られています。最初は県立 ...

函館市電末広町電停から徒歩 5 分ほどの基坂沿いに「旧イギリス領事館」があります。建物は1913年にイギリス人設計士によって建てられたコロニアル建築様式で,洋風のアーチ窓に和風の瓦葺き寄席屋根という “和” と “洋” が混じり合った造りが施されています。現在は函館 ...

伊予鉄道市内路面電車大街道駅から徒歩 5 分ほどのところにある純フランス風の洋館「萬翠荘」は,大正11年(1922年)に旧松山藩主の子孫にあたる久松定謨(ひさまつさだこと)伯爵の別邸として建てられました。当時は最高の社交の場として各界名士が集まり,皇族方が愛媛を訪 ...

鶴ヶ城の本丸内に,会津に逃れた千利休の子・少庵ゆかりの「茶室 麟閣」があります。天正19年(1591年),豊臣秀吉の逆鱗にふれ切腹を命じられた千利休が自害すると,千利休の茶道が途絶えることを惜しんだ会津領主・蒲生氏郷が,利休の子・少庵を会津にかくまい,秀吉に千家 ...

「野口英世青春通り」は会津若松市の中心市街地に位置する通りで,会津若松市役所付近と会津若松駅付近とを結んでいます。通りには医学者・野口英世が左手の火傷の手術を受けた会陽医院の跡が存在し,野口英世の銅像が置かれた野口英世青春広場も開設されています。「野口英 ...

クイーン・ストリート・モールにある「ビジター・インフォメーション・センター(観光案内所)Brisbane Visitor Information and Booking Centre」では,いくつものビジターガイドやパンフレット,地図などを入手することができ,またツアーや宿泊の予約も行ってくれます。こ ...

JR 松本駅から歩いて 25 分ほど,松本城の北側にある「旧開智学校」は,文明開化時代の小学校建築を代表する洋風校舎の建物として広く知られています。1873年(明治 6年)5月,開智学校の校名で廃寺を仮校舎として開校し,1876年(明治 9年)4月に仮校舎として使用していた廃 ...

旧制松本高等学校は,1919年(大正8年)4月に松本市に設立された全国で 9 番目の官立の旧制高等学校です。旧制第一高等学校から第八高等学校まではナンバースクールと呼ばれていましたが,松本高等学校はナンバースクールの高校に続いて設立された「地名スクール」(ネームス ...

スペイン広場から Aspinall Ave を北上していくと,左手に「シレナ・パーク Sirena Park」が見えてきます。パーク内にはサンゴ岩でできた美しいアーチ形の橋「サン・アントニオ橋」が設置されており,橋の脇にはパークの名にもなっている「人魚シレナの像」が置かれています ...

1521年にマゼランがグアム島に到達し,1565年にスペインのレガスピがグアム島に来島してその領有権を宣言して以来,グアムは 300年以上に渡ってスペインによる統治下にありました。ハガニア Hagåtña の街の中心にある「スペイン広場 Plaza de Espana」は,現在はきれい ...

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