食で奏でる旅の記憶

 ~徒然なる食と旅の備忘録~

カテゴリ: △歴史・文化

JR 長野駅から歩いて 7 分ほどのところに,かつて善光寺南大門とも称せられ,善光寺参詣の人々が必ず立ち寄っていく寺として栄えた「西光寺」があります。正治元年(1199年),善光寺如来に導かれて高野山から信濃の地に下った苅萱道心(寂照坊等阿)が,善光寺から南10丁ほ ...

明治・大正時代に海外貿易の拠点として栄えた門司港には,当時の面影を残す建物が今なお多く残っており,「門司港レトロ地区」として保存されています。建物は資料館やレストランなど,当時の内装を活かしながらさまざまな用途に使われています。「旧大阪商船」 八角形の塔 ...

JR 下関駅からバスで10分ほどのところにある赤間神宮は,壇ノ浦の戦において幼くして入水して亡くなった安徳天皇を祀る神社です。「赤間神宮」「鳥居」「境内案内図」「太鼓楼」「安徳天皇御陵」わずか 8 歳で崩御した安徳天皇のお墓で,中国地方唯一の御陵です。「水天門」 ...

JR 下関駅からバスで 6 分ほど,カモンワーフや唐戸市場と国道を挟んで向かい側に「関の氏神さま」「亀山さま」と親しまれ,下関60ケ町の氏神様として尊崇されている亀山八幡宮があります。「亀山八幡宮」「大鳥居」正面石段下に立つ大鳥居は御影石製鳥居としては日本最大の ...

JR 下関駅から歩いて 7 分ほどのところにある「大歳神社」は,壇ノ浦の戦に先立って義経が篝火を焚いて二日二夜斎戒沐浴して戦勝祈願をこめた神社です。「大鳥居」「由緒」「源義経と大歳神社」「石段」大鳥居から社殿までは123段の石段が延びています。「二の鳥居」石段を登 ...

阪堺電軌阪堺線住吉鳥居前駅にある「住吉大社」は,全国に約2,300社ある住吉神社の総本社で,下関の住吉神社,博多の住吉神社とともに「日本三大住吉」の一社です。毎年,初詣の参拝者の多さでも全国的に有名で,大阪の人には「すみよっさん」の愛称で親しまれています「住吉 ...

安倍晴明神社は阿倍王子神社の北方約 50 m に鎮座する阿倍王子神社の境外社(飛び地境内社・末社)で,その名の通り平安時代の陰陽師・安倍晴明公を祀る神社です。安倍晴明は大阪市阿倍野区阿倍野で産まれたと伝えられており,活躍期には京の都の北東(京都市上京区・現在の ...

大阪・天王寺と堺を結ぶ路面電車,阪堺上町線の東天下茶屋駅より徒歩 5 分ほどのところにある「阿倍王子神社」は,仁徳天皇によって創建されたとされる神社です。平安時代に熊野信仰が興ると,熊野街道に熊野九十九王子と呼ばれる王子社がたくさん出来ました。阿倍王子神社は ...

ハワイ出雲大社は,1906年(明治39年)に創祀された出雲大社の分社です。テレビ東京の人気番組「モヤモヤさまぁ~ず 2」のハワイ編で紹介されて以来,番組の視聴者の多くがハワイを訪れる際に立ち寄るようになり,一躍人気スポットとなりました。「ハワイ出雲大社」鳥居には ...

百舌鳥古墳群とは堺市内に広がる古墳の集まりのことで,その中には日本最大の前方後円墳である仁徳天皇陵古墳も含まれています。かつては100基以上の古墳があったとされていますが,都市化の進展に伴ってその半数近くが失われ,現在は 4世紀後半から 5世紀後半に造られた 40 ...

堺市堺区大仙町にある仁徳天皇陵古墳(大仙陵古墳)は,エジプト・クフ王のピラミッドや中国・秦の始皇帝陵と並んで世界三大墳墓のひとつに数えられる日本最大の前方後円墳で,周囲の古墳と共に百舌鳥古墳群を構成しています。宮内庁の管理下にあり,古墳への立ち入りは厳し ...

南宗寺の山内にはいくつかの塔頭寺院があります。「南宗寺 山内図」 「徳泉庵」臨済宗大徳寺塔頭大仙院に属する禅寺で,本尊は観世音菩薩です。稲荷社があります。ざくろが実っていました。「海会寺」臨済宗東福寺派で,本尊は阿弥陀如来です。1615年の大坂夏の陣で焼失し ...

・・・昨日の続き南宗寺は茶道や茶人と関係が深く,堺の町衆文化の発展に寄与した寺院です。境内には利休一門やその師・武野紹鴎(たけのじょうおう)らの供養塔があります。「千利休居士供養塔」「津田家之塔」「武野紹鴎之墓」 「牡丹花肖柏之墓」「歴代の墓」「三好一族 ...

南宗寺(なんしゅうじ)は,戦国武将・三好長慶が父・元長の菩提を弔うため,1557 年に大林宗套(だいりんそうとう)を開山として建立した臨済宗大徳寺派の寺院です(山号は龍興山)。1615年の大坂夏の陣で焼失した後は現在の場所に移し,沢庵宗彭(たくあんそうほう)らによ ...

茶道千家の始祖・茶聖と称される千利休は,堺の商家(屋号「魚屋(ととや)」)の長男として生まれました。南海本線堺駅から歩いて 15 分ほど,阪堺電軌阪堺線宿院駅から徒歩 2 分ほどのところに千利休屋敷跡があります。屋敷跡には椿の井戸と,利休ゆかりの大徳寺山門の古い ...

七福神とは,福をもたらすとして信仰されている「恵比寿」「大黒天」「毘沙門天」「弁財天」「福禄寿」「寿老人」「布袋尊」の七神を指します。江戸時代後期より庶民が行楽を兼ねて七福神詣でをするようになり,それが現在の「七福神巡り」へと発展していきました。「鎌倉・ ...

JR 鎌倉駅から歩いて10分ほど,鎌倉の中心にある 鶴岡八幡宮 は,鎌倉幕府の初代征夷大将軍である源頼朝ゆかりの神社として知られています。頼朝が鎌倉に幕府を開く 100年以上も前の 1063年に,源頼義が「源氏の氏神」である京都の「石清水八幡宮」を由比ヶ浜辺にお祀りし ...

東京メトロ東西線神楽坂駅から歩いて 1 分ほどのところにある「赤城神社」は岩筒雄命(いわつつおのみこと)を祀る神社で,700年にわたり牛込総鎮守として鎮座してきました。拝殿を含む境内は,建築家の隈研吾氏による設計です。「赤城神社」「境内」「蛍雪天神」「拝殿」「 ...

野村家は加賀藩の名奉行職を歴任した名家です。屋敷と日本庭園が調和した造りは見事で,山水画を施した襖や,ギヤマン入りの障子戸など贅を尽くした造りは文化的にも高い評価を得ています。「武家屋敷跡野村家」 「野村伝兵衛が着用した鎧」「仏間」「謁見の間」「上段の間 ...

旧加賀藩士高田家跡では当時「平士」と呼ばれた加賀藩の中級武士と,その屋敷に仕えた人々の姿を紹介しています。「旧加賀藩士高田家跡」「庭園」池泉回遊式の庭園も見ごたえがあります。「長屋門」武家屋敷特有の長屋門を復元しています。厩と仲間部屋、納屋が備わっていま ...

金沢市の中央,金沢城の西側に位置する尾山神社は,加賀藩祖前田利家公と正室のお松の方を祀る神社です。1599年,前田利家没後,金沢城の鬼門の方角(東北)にあたる卯辰山麓に卯辰八幡宮(現在の宇多須神社)が建立され,利家の霊は加賀藩を守護する存在として祀られました ...

金澤神社は,1794年に加賀藩11代藩主前田治脩(はるなが)が藩校明倫堂を建てた際,その鎮守社として学問の神であり前田家の祖先でもある菅原道真公を奉斎する神社を創建したのに始まります。現在は,毎年受験シーズンになると,数多くの受験生が参拝に集まります。「一の鳥 ...

歴代加賀藩主前田家の居城であった金沢城は,金沢平野のほぼ中央を流れる犀川と浅野川に挟まれ,金沢平野を一望できる小立野台地(こだつのだいち)の先端に築かれた平山城です。1583年に前田利家が入城してから本格的な城づくりが始められましたが,1759年の宝暦の大火によ ...

ひがし茶屋街の奥に位置する宇多須神社は,金沢五社のひとつで初代加賀藩主・前田利家ゆかりの神社です。1599年,前田利家没後,金沢城の鬼門の方角(東北)にあたる卯辰山麓に卯辰八幡宮(現在の宇多須神社)を建立し,利家の神霊を祀って藩社としました。明治に入り現在の ...

戦火に焼かれることのなかった金沢には,江戸時代の街並みそのままの場所が随所に残ります。ひがし茶屋街は,加賀百万石の城下町の情趣を最も色濃く残したエリアの 1 つで,金沢市に 3 ヶ所ある茶屋街(ひがし茶屋街,にし茶屋街,主計町茶屋街)のうち最大規模を誇ります。 ...

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