鶴ヶ城の本丸内に,会津に逃れた千利休の子・少庵ゆかりの「茶室 麟閣」があります。天正19年(1591年),豊臣秀吉の逆鱗にふれ切腹を命じられた千利休が自害すると,千利休の茶道が途絶えることを惜しんだ会津領主・蒲生氏郷が,利休の子・少庵を会津にかくまい,秀吉に千家再興を願い出ました。「麟閣」は少庵が会津にかくまわれていた時に,氏郷のために建てた茶室と伝えられています。その後,京都に戻った少庵は再び茶道に励み,その子孫に引き継がれた千家茶道は『表千家』『裏千家』『武者小路千家』の 3つの千家に分かれ,現在まで連綿と続いています。






















福島県会津若松市追手町 1-1
「表門」

「扁額」

「園路図」

「寄付」


「中門(ちゅうもん)」


「腰掛待合」


「つくばい」

「茶室 麟閣」




「間取図」

「茶道三千家 系譜」

「躙口」



「森川家ゆかりの牡丹」

「お茶席」

「裏門」

福島県会津若松市追手町 1-1
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