かつて新発田藩の藩庁が置かれた「新発田は,別名・菖蒲城(あやめじょう)とも呼ばれる平城で,日本100名城(31番)のひとつにも数えられる名城です。1598年, 」溝口秀勝が 6 万石の所領を得て新発田に入封し新発田藩初代藩主となると,新発田藩領内を治めるための拠点として新発田氏の旧城の地を選び新発田城を築城しました。現在は一部が自衛隊駐屯地として利用されており,櫓門の本丸表門と二重櫓の二の丸隅櫓が現存しています。2004年,三階櫓と辰巳櫓が復元されました。
現在,城跡の一部が自衛隊駐屯地として利用されており,辰巳櫓から見ることができます。
新潟県新発田市大手町 6-4
「表門」
「初代藩主・溝口秀勝像」
「石垣内部構造」
石垣は,すき間なくかみ合うようにきちんと積まれる『切込はぎ』と呼ばれる美観を重視した技法でつくられています。「辰巳櫓」
「フクロウ像」
現在,城跡の一部が自衛隊駐屯地として利用されており,辰巳櫓から見ることができます。
「本丸」
「旧二の丸隅櫓」
「お堀」
「三階櫓」
天守閣の代わりを果たしていたのが三階櫓です。3 匹の鯱を配するという独特の櫓で,全国にも例がない大変珍しいものです。
「二ノ丸」
「堀部安兵衛の像」
赤穂浪士四十七士の 1 人である堀部安兵衛は,新潟県新発田市で生まれました。
新潟県新発田市大手町 6-4
コメント