日本100名城(25番)の一つにも選定されている「甲府城(別名,舞鶴城)」は,甲府盆地の北部,甲府市中心街にほど近い一条小山と呼ばれる丘陵地に築かれた平山城です。武田氏滅亡後に豊臣秀吉の命により築城され,江戸時代に入ってからは徳川家が城主となり,外敵の江戸への侵攻を阻止する城として重要視されました。1705年,柳沢吉保が徳川家以外で初めて城主となって入城した際,城の拡張と修築が行われ城下も整備されましたが,子の柳沢吉里が大和郡山へ転封された後は,幕末まで幕府の直轄領となりました。1868年の戊辰戦争で新政府軍の板垣退助らが無血入城を果たし,1873年に廃城となりました。かつては 20ヘクタールほどの広大な城郭でしたが,廃城後は建物の破却や堀の埋め立てなどが行われ,さらに JR 中央線の開通と甲府駅の開業により城跡は南北に分断されました。現在は,分断された城跡の北側の一部が「甲府市歴史公園」として,南側が「舞鶴城公園」として一般開放されています。
















「謝恩碑」










正面に謝恩碑がみえます。



「稲荷櫓」





「自由広場」


山梨県甲府市丸の内 1-5-4
「甲府市歴史公園」

「堀と土塁」

「土橋」

「山手門」


「山手渡櫓門」
2007年に復元されました。




「舞鶴城公園」

「内松陰門」



「武徳殿」

「中の門跡」


「謝恩碑」
1922年に本丸に建てられました。

「鉄門」



「銅門跡」

「本丸」

「天守台」

天守台からは甲府市街を望むことができます。



正面に謝恩碑がみえます。

「明治天皇御登臨之阯」

「稲荷曲輪」

「稲荷曲輪の井戸」

「稲荷櫓」
2004年に復元されました。

「広場」

「二重の石垣」

「稲荷曲輪門」


「水溜跡」

「自由広場」

「石垣」

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