歴代加賀藩主前田家の居城であった金沢城は,金沢平野のほぼ中央を流れる犀川と浅野川に挟まれ,金沢平野を一望できる小立野台地(こだつのだいち)の先端に築かれた平山城です。1583年に前田利家が入城してから本格的な城づくりが始められましたが,1759年の宝暦の大火により城は焼失してしまいました。明治時代,金沢城址には陸軍の拠点が置かれ,戦後は新設された金沢大学の丸の内キャンパスとして使用されていました。金沢大学が移出した後は,県が建物跡や遺構などをもとに金沢城公園として整備し,現在も金沢城第 2 期復元整備事業が進められています。

「金沢城公園」
金沢城公園 1_edit

「石川門口」
兼六園に向かい合って建つのが石川門口です。
石川門口 1_edit

石川門口 3_edit

「石川門」
石川門 1_edit


石川門 2_edit


「石川櫓」
白っぽく見える屋根瓦には鉛が使用されており,溶かして鉄砲弾に作り変えるための工夫だったとも言われています。
石川櫓 4_edit

石川櫓 6_edit

内部は公開されています。
石川櫓内部 5_edit

「河北門,二の門」
河北門は金沢城の実質的な正門で,「一の門」,「二の門」,「ニラミ櫓台」により防御機能を持った構成となっています。平成22年4月,約130年ぶりに往時の姿でよみがえりました。
河北門_二の門 2_edit

河北門_二の門 3_edit

「二の門の内部」
河北門_二の門内部 1_edit

「河北門,一の門」
河北門_一の門 1_edit

「河北門,ニラミ櫓台」
ニラミ櫓台_edit

「三の丸広場」
三の丸広場 2_edit

「菱櫓と五十間長屋」
菱櫓はその名の通り菱形の建物で柱もすべて菱形です。菱櫓に続く五十間長屋は,武器等を保管する倉庫と城壁の機能とを兼ね備えた建物です。
菱櫓と五十間長屋 1_edit

「内堀と橋爪門続櫓」
橋爪門続櫓は二の丸の正門である橋爪一の門を見下ろす位置にあり,三の丸広場から橋爪橋を渡り,橋爪一の門を通って二の丸へ向かう人々を監視するための重要な櫓で,橋爪櫓とも呼ばれていました。
内堀と橋爪門続櫓_edit

「鶴の丸土塀」
土塀の内側にはたくさんの鉄砲狭間があります。これは,三の丸広場側から見ると単なる海鼠壁ですが,塀の中からはいざという時に瓦を一枚割れば鉄砲を撃てる狭間になっています。
鶴の丸土塀 2_edit

「レンガ造りのトンネル」
明治から昭和にかけて,金沢城は旧陸軍の所管となり軍用施設が設けられました。このトンネルは,旧陸軍によって弾薬庫が造られた明治から大正期のものとされています。
レンガ造りのトンネル 3_edit

「二の丸広場」
二の丸広場_edit

「極楽橋」
二の丸から三十間長屋のある本丸へ渡る所にある橋で,擬宝珠のついた木製の橋です。
極楽橋 2_edit

極楽橋 5_edit

「三十間長屋」
本丸にある2層2階の多聞櫓で,石川門と同様に重要文化財に指定されています。
三十間長屋 2_edit

「金沢城の石垣」
金沢城では前田利家の入城後,本格的な石垣づくりが始まりました。現在も,さまざまな種類の石垣を見ることができます。
石垣 4_edit河北門の石垣 2_edit

「野面積み」
自然の石や粗割りしただけの石を用いて積む技法です。
野面積み_edit

「打ち込みハギ」
形の整った割石を用いて積む技法です。
打ち込みハギ_edit

「切り込みハギ」
割石をさらに加工した切石を用いて,隙間なく積む技法です。
切り込みハギ 3_edit

「いもり坂口」
いもり坂口 1_edit

石川県金沢市丸の内 1番1号
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