両国の回向院は1657年に開かれた浄土宗の寺院です。この年,江戸には振袖火事と呼ばれる大火があり,10万人以上の尊い人命が奪われました。この災害により亡くなられた人々の多くは、身元や身寄りのわからない人々でした。当時の将軍家綱は,このような無縁の人々の亡骸を手厚く葬るようにと「万人塚」という墳墓を設けました。このとき,お念仏を行じる御堂が建てられたのが回向院の歴史の始まりです。有縁・無縁に関わらず,人・動物に関わらず,あらゆる宗派,生あるすべてのものを供養するという理念から,ペットの墓も多数みられます。
周囲は高層ビルに囲まれています。
東京都墨田区両国 2丁目8−10
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「回向院」
「聖観世音菩薩立像」
「力塚」
勧進相撲が回向院境内で初めて行われたのは 1768年のことで,明治42年に旧両国国技館が完成するまでの間,回向院は相撲興行の中心とされてきました。「力塚」は昭和11年に相撲協会が歴代相撲年寄の慰霊のために建立したものですが,現在も新弟子たちが力を授かるよう祈願する碑として,相撲と回向院とのつながりを示す象徴になっています。
「馬頭観音堂」
「動物慰霊之碑」
軍用犬軍馬慰霊の碑です。「関東大震災供養塔」
「慈母観音」
「水子塚」
時の老中・松平定信の命によって造られたもので,水子供養の発祥とされています。「塩地蔵」
願い事が成就すると参詣者が塩を供えたことから,塩地蔵と呼ばれ親しまれてきました。
「犬猫供養」
「石造海難供養碑」
「猫塚」
「竹本義太夫之墓」
「鼠小僧次郎吉の墓」
時代劇で義賊として活躍するねずみ小僧は,大名屋敷から千両箱を盗んで町民の長屋に小判をそっと置いて立ち去ったといわれ,その信仰は江戸時代より盛んでした。長年捕まらなかった運にあやかろうと,墓石を削ってお守りにする風習が盛んとなり,現在も墓の前には削り取られて白くなった「お前立ち」が置かれています。
周囲は高層ビルに囲まれています。
東京都墨田区両国 2丁目8−10
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